『週刊新潮』の記事読んだ。
「伊藤詩織さんに1億円払えと訴えた『安倍』総理ベッタリ記者」
まったく意を介さない勢いで報じてくれるからすごい。
山口氏の著書『総理』の“要約”からはじまるこの記事、
配信中のライジングでも書いたけど、山口氏の言い分から
損害賠償請求額から、いかに無理筋かがよくわかるなあ。
記事を読んでいて思い出したけど、
山口氏って、事件後の詩織さんへのメールには、
詩織さんのほうから山口氏のベッドに入って来たという風に
言っておきながら、
裁判の陳述書では、正反対かつ別の物語を綴っているんですよ。
ここはまたライジングで書こう。
また、山口氏は裁判所に
「『週刊新潮』によっていかに自分は打撃を与えられたのか」を
説明するために、中吊り広告の画像まで提出しているんだけど、
だったらどうして訴える順序が、「まず、週刊新潮」じゃなくて
「まず、小林よしのり」なのかますます意味がわからない……。
今号の『週刊新潮』は、安倍ベッタリ記者特集につづく、
娘を犯し続けた父親に無罪判決という特集には本当に驚愕した。
これは読んだほうがいいと思う。
娘は、小学生の頃から、父親に殴ったり蹴られたりされ、
しかし、母親とは不仲で被害を受けていることを相談できず、
そして、中学2年生から高校卒業するまでの間、父親に強姦され
つづけていたという。
抵抗すると殴られたり蹴られたり、踏みつけられたりし、
また、専門学校の学費と生活費を返済するよう言われていたそうだ。
判決は、
「被害者が抵抗不能な状態だったと認定することはできない」
として無罪に。
いまの日本の法律では「抵抗しようと思えばできたのではないか」
と解釈されてしまう部分があるらしく、
「法律」を杓子定規に当てはめると『疑わしきは被告人の利益に』
ということで、一般の道徳観念からかけ離れた判決に至るという
ことが起きるようだ。
法律を無視するわけにはいかないという理屈はわかる。
ただ、やっぱり法律によって「人間」が無視されるわけには
いかないと思うから、
強姦・準強姦に関する日本のいまの法律には不備があるのでは
ないか、という議論は起きたほうがいいと思う。
これは伊藤詩織さんのジャーナリストとしての活動につながって
いることだろう。